疑惑

中3の生徒達は、公立入試の約4割を占める内申が、もうじき確定しようとしている。
この内申、ときに『どういう基準でつけているのか?』『先生の感情でつけてはいないか?』と疑いたくなることがある。

真実

もちろん、5、4、3、2、1を決定するための観点が複数あることは承知している。
ただ、明らかにオカシイだろというときが多々ある。

例えばある中学校、50点満点の定期テストで『2点』という生徒がいたが、その生徒の内申は『2』だった。
また、別の中学では、同じく50点満点の定期テストで『1点』という生徒がいたが、その生徒の内申も『2』だった。
これらの学校、もしくは、その先生が担当している教科では、『1』なんていないんじゃないのか?と思ってしまう。

それに対し、逆もある。
これは1点の生徒と同じ学校だが、50点満点のテストで『50点』、つまり満点だ。
だが、その生徒の内申は『3』だった。
しかも、あと1つでも観点が悪ければ『2』に下がってしまう『ギリギリの3』だった。
むしろ、そこまでよく分からない基準であれば、この生徒には『2』を取ってもらい、50点の生徒と1点の生徒の内申が、何で同じ『2』何ですか?と問い合わせをしてみたかった。

ここまで極端な例ではないが、他にも不可解な評価を受けた生徒がいる。
1年間に4回ある定期テストで、『50点』『50点』『50点』『49点』という生徒がいた。
何と、その生徒の内申は『ギリギリの5』だった。
観点が1つでも悪ければ『4』に下がってしまう『ギリギリの5』だった。
あの時は、5だったから「〇〇、お前、先生に嫌われているんじゃないか・・・」などと笑い話になったが、やはり解せない。
準パーフェクトの結果だ。
しかも、これだけの結果を出すような生徒が、学校では素行が悪いとか、その先生に対してだけは反抗しているなど考えられない。
私の生徒なので、提出物もちゃんと出していることは確認している。

格差

上記の例以外でも、学校間の格差はある。

私の富水教室は、目の前の道路の北側が城北中学区、南側が泉中学区という立地のため、両校の生徒が通塾している。
道を東に行き酒匂川を渡れば千代中、西の狩川を渡れば岡本中もあるので、そちらから通塾する生徒もいる。
塾内のテストで同じ問題を解かせているので、学校が違っても生徒達の力差は分かる。
『この子、こっちの学校だったら3つは内申上がるのにな』とか、逆に『甘い学校でラッキーだったな』などといった生徒がいる。

公立入試の約4割、合否を大きく左右する内申のつけ方が、学校や先生によってこれほど大きく違っていていいのだろうか。

明確な基準

例えば、平均点から±10点未満は『3』、±20点未満は『4』と『2』、それ以外は『5』と『1』というような明確な基準を設けた方が分かりやすく公平だと思う。
先生達の力量にもよるが、各学校の各先生が『平均点が25点前後』になるような問題を作成すれば、50~45は『5』、44~35は『4』、34~16は『3』、15~6は『2』、5~0は『1』となる。
これを基準として、提出物や授業態度などの観点を組み込んでいけば、学校間や先生による評価のブレは少なくなるのではないか。

無責任

また、全員とは言わないが、生徒達の力量をまったく分かっていない先生もいる。
ろくな引き継ぎも無く、ただ内申の数字だけを見て、生徒の本当の力(得点力)も知らないまま生徒指導をしているのではないかと感じるときもある。

昔、『お前無責任すぎるだろ』という先生がいた。
1000%落ちるような生徒に、『受かるか落ちるかは、みんな同じ条件』などと言ったバカ教師、その生徒はもちろん不合格だった。
常に結果が求められる塾屋の我々からすると、そんな無責任な発言、とても信じられない。
もちろん、当落線上にいるような生徒であれば、受かるか落ちるかは難しい判断になるが、その教師以上に素人である保護者に対して、正しく現状を伝えない、いや伝えられないというのは罪だろう。

できることは

多くの中学は、内申が決定する最後の定期テストまで約2週間だと思う。
みんな必死になって勉強に取り組んでいるとは思うが、こんなよく分からないものが内申だ。
これを、志望校合格のために1ポイントでも上げよう、上げたいと寝る間も惜しんで戦っている。
残念ながら、いま『○○中だったらな』『○○先生じゃなかったらな』と言ってもしょうがない。
できる最善を尽くして欲しい。
できる最善、それは勉強や提出物、授業態度だけではないかもしれない。

こころ

うちの学院長が、冗談半分で『学校の先生の前ではな、いつもニコニコしてなさい。女の子なんて、それだけで3つは上がるよ。』などと言うときもあるが、あながち嘘とも言えない気がする。
若い男性の先生には『イケメンですね』、女性の先生には『お若いですね』など、お世辞の1つでも言えるような社交性が必要なのか?だとしたら、なんともバカバカしい。
しかし、事実、意味不明な通知票は存在している。

つい先日、うちの娘(卒業生)の1人が、就職試験に合格した。
試験の後、その子のお母様から「先生、うちの娘、面接の時に『誰にも負けないことは?』って質問されて『笑顔です』って答えたそうなんですよ・・・。」といった話を聞いた。
こころがピュアなのかな。
ぜひ、特別講師として招きたいところだ。

『笑う門には福来たる』

この記事を書いた人

山田 明史