「私なんて月曜日から土曜日まで毎日習い事があって忙しいのよ。」
これ、ある小学生の言葉です。

こんにちは、富水教室の山田です。

全てが中途半端

最近の子供達は、我々が子供の頃に比べると、習い事をしている割合が高い。
我々の時代では、たぶん何も習い事をしていないという生徒が過半数はいたと思うが、最近ではその様な生徒は稀である。
また、割合だけではなく、1人の生徒が習っている数や種類もとても多い。
冒頭に書いたように、なかには月曜から土曜まで週6日間、何かしらがあるといった子供もいる。
これが良い流れなのか悪いの流れなのかは、分からないが、1つ『危惧』していることがある。
それは、どれもこれもが『中途半端』になっている子供達がいるということだ。

どこにその子の興味や得意分野があるかは分からないし、様々な経験をするということ自体は、私自身いいことだと思っている。
しかし、何か1つのことを『極める』とか、『完成させる』といった意識が、薄れていると感じる。

よく聞く言葉に、「中学になったからやめる」とか「中学生になったからやめさせる」といったものがある。
それ、どうなのかと疑問に思う。
もちろん、大きく環境が変わるタイミングで、何かをやめるとか、区切りをつけるということはあるだろう。
しかし、じゃあそこまでに、極めよう完成させようという思いで取り組んでいたのか、取り組ませていたのかというと、クエスチョンマークなところがある。

視野を広げるためにとか、経験をさせるためにと、最初から期間を定めてのものならともかく、そうでないものは一定基準をクリアしたから区切りをつけるという方がいいのではないかと思う。
目標を定め、それを目指して努力を重ねる。
まさに、『正しい勉強に対する取り組み』と同じだ。

書道や珠算など、級や段といった分かりやすい区切りがあるものなら、1級に合格したらとか、初段を取ったからという理由であれば、誰が見ても聞いても納得の引退ではないだろうか。

私も子供の頃、珠算を習っていた。
いや嘘だ。
習わされていた。
楽しいと思ったことなど一度もない。
いつまでと決まっていた訳ではないし、中学になってからも続いた。
友達たちは、やはり『中学になったから』といった理由でやめていったが、私の珠算は何故か続いた。
そのとき考えた、どうすればやめられるかと。
そして、自分なりの結論が、『1級を取ろう』だった。
それまで特に目標を持ってやっていた訳ではないが、遅ればせながら、ようやくそこで目標ができた。
1級に合格したときは、取れた嬉しさではなく、『これでやっとやめられる』というのが本音だった。
ただ、今思えば、せっかくだから初段まで取っておけばよかったと後悔している。
もう今じゃ、手は動かない。
まあ、所詮その程度の器だったのだろう。

いま中2にいる女の子の1人は、珠算を習っていた生徒だ。
その子も、小学校卒業までには1級には届かなかった。
しかし、ここまで頑張ってきた珠算、何とか1級までは取りたいと、中学になってからも続けた。
中学になり勉強や部活が大変だっとと思うが、何とか夏頃に1級に合格できた。
この、やりきろうとする姿勢が非常に大切なものだと思う。
ちなみに、彼女の名誉のために補足をしておく。
私と違い、嫌々やっていた訳ではない。
そこは、私と違ってとても素晴らしい。

五能より単能

以前、『私の嫌いな先生』というブログを書いた。
タイトル通り、嫌いだった先生の話だ。

好きな先生もいる。
私が最も好きな先生、それは小学校の時のM校長先生だ。
あるときの朝礼での先生の言葉は、今でも忘れない。

朝礼での先生達の話なんて、まともに聞いたことはない。
長いな、早く終わらないかなであった。
だから、前後の話は覚えていないが、その一言だけはスッと入ってきた。

「五能より単能」

あれもこれもなんて、できなくてもいいじゃないか。
何か1つ、1つでもできればいいじゃないか。
何か1つできる、それは素晴らしいことだ。
こんな様な内容の話だったと思う。

全校生徒への話の一場面、別に私に話しかけた言葉ではないが、初めて認められた、褒められた気がした。
そう、その日から、その時から、M校長先生を大好きになった。

『五能より単能』

私のことを認めてくれたM先生、それに対し私の輝き(単能)を奪いに来たH先生。
だから嫌いだった。
*H先生とは、『私の嫌いな先生』の中で書いた先生のことです。

5年生の終わり、M先生が定年退職で引退すると聞かされた時は、何でもう1年いてくれないのかとショックを受けた。
あの時は、意味も無く次の校長先生が嫌いだった。
完全にとばっちりだ。

卒業後、お会いすることは無かったが、筆不精な私が毎年欠かさず年賀状を書いた。
数年前、ご家族の方から、M先生が旅立たれたと便りがあった。
それまで、ご自宅はどこだろうと考えたこともなかったが、その時はじめてちゃんと住所を確認した。
何と、先生のご自宅は、ここ富水教室から徒歩で行ける場所だった。
こんなに近くにいらっしゃったのに、何故もっと早く気づかなかったのかと後悔した。

『五能より単能』
英・国・数・理・社・音・美・体・技・家、学校の勉強だけでもこれだけ多くの種類がある。
どれか1つ、自分が輝けるものを見つけて欲しい。
1つの輝きは、それだけにとどまらない。
その光は、近くのものを照らし徐々に輝かせるはずだ。

この記事を書いた人

山田 明史