こんにちは、富水教室の山田です。

虚数の出現、それは、3次方程式の解の公式でした。
イタリアの数学者カルダーノによりこの考え、概念が登場しました。
しかし、この時はカルダーノ自身、理解に苦しむおかしなものが登場するが、それを導入すれば・・・というくらいの扱いでした。

その後、1572年に数学者ボンベリが、2乗して-1になるような数、これも数として扱いましょうと提案したようです。
ただ、まだこの当時、何かの役に立つということもなかったようで、アイツ(ボンベリ)、アホじゃないかというような感じだったそうです。

1600年代、xを世に広めたとされるあの数学者デカルトでさえ、そんなものは単なる想像上の数だといい、軽くあしらったそうです。
しかし、このデカルトの想像上の数というワードから『虚数(imaginary number)』という言葉が誕生したようです。

そして1700年代になり、オイラーが虚数は重要なものだ宣言し、『i』という記号を初めて使ったそうです。
世界一美しい式と言われるオイラーの等式『e^iπ=-1』で有名ですね。

そしていよいよガウスの登場です。
あの『数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である』と言ったガウスです。
このガウスが、虚数を幾何学的に表示したのです。
ガウス平面、複素数平面と呼ばれるものです。
ここが、感動の入り口です。
3次方程式の解の公式が発端となり登場した2乗して-1になる数、虚の数、想像上の数と言われたいたものが、可視化され図形的な意味を持ったのです。

ガウス平面、とりあえず難しく考えず、xy座標のy座標を虚(i)の軸とだけとらえてくれれば大丈夫です。
x軸はこれまで通りに扱い、y軸の1だったところをi、2だったところを2i、3だったところを3i・・・と表します。
負の数だったところも同じ様に、-1だったところを-i、-2だったところを-2i、-3だったところを-3i・・・と表します。
xy座標で(2,5)だったところを 2+5i 、(-3,-2)だったところを -3-2i と表します。
今までy座標だったところにiと書く代わりに、( )や,を書かなくなったと思って下さい。

可視化されたとは言え、まだ感動はしませんね。
感動は、『×i』これに図形的な意味を持たせることができたからです。
iは2乗すると-1になる数、つまりi×i=-1です。
『×i』、これを90°の回転と定義できるのです。

あまり難しくならないように、軸上の点で見てみましょう。
さらに、まずはxy座標で見てみましょう。
(1,0)、(0,1)、(-1,0)という3点を考えます。
名前があった方が分かりやすいので、それぞれ点A、点B、点Cとしましょう。
原点Oを中心に、点Aを90°回転させると点Bの位置に移動します。
さらに、同じく原点Oを中心に、点Bを90°回転させると点Cの位置に移動します。

では、これをガウス平面で考えましょう。
xy座標で(1,0)、(0,1)、(-1,0)だった点は、ガウス平面では『 1 』、『 i 』、『 -1 』です。
A→B→Cと移動したといことは、『 1 』→『 i 』→『 -1 』と移動、変化したということです。
90°の回転を×iとすると書きました。
点Aを90°回転させるということは、点Aにiをかけるということです。
点Bを90°回転させるということは、点Bにiをかけるということです。

これを計算の式で書いて見ましょう。
点Aを90°回転させる、点Aにiをかける、つまり1にiをかける『 1×i 』です。
文字の式の計算、中1のときに1×a=a、b×1=bと習いました。
『 1×i=i 』です。

点Bを90°回転させる、点Bにiをかける。
つまり、iにiをかける、『 i×i 』です。
iは、2乗すると-1になる数でした。
したがって、『 i×i=i^2=-1 』です。

3次方程式を解くための異物として登場した虚数。
2乗して負になる数がある、と仮定しても面白いんじゃないかとゲーム的な感覚で扱われていた虚数。
それが、異物でも、あると仮定するとでもなく、実は直ぐ身近にいたのです。
その正体の1つが見えたのです。
回転、とうぜん遙か昔からあったもので、それを我々は文字を使って計算式に表せていなかったのです。
それをガウスが見つけ、教えてくれました。

1がiに、iが-1に、たまたまこの点だけであれば意味づけ・定義づけはできません。
ちゃんと、全ての点でこれが成り立ちます。

1つだけ知っておいて欲しい知識があります。
2つの直線が垂直に交わる時、その2直線の傾きの値の積は-1になる。
かけ算をするとその答えが-1になるということです。

a+biにiをかけると-b+aiになります。
ガウス平面上のa+biという点が-b+aiという点に移動したのです。
xy平面でいうなら、(a,b)という点が(-b,a)という点に移動したことになります。
この2点と原点を結んでできた直線の方程式は、それはy=b/a xとy=-a/b xです。
それぞれの傾きb/aと-a/bの積は-1、つまり、ガウス平面上の全ての点でこれが成り立つのです。

方程式の解というまったく違う世界から現れた虚数に、ガウスは別の世界から意味づけ・定義づけをしたのです。完璧に。
これは、感動せずにはいられないでしょう。

数学が目指すものの1つ、それは無矛盾です。
勝手に意味づけや定義づけはしていません。
どんな場合でも、どんな方面から見ても矛盾の無い定義、これが数学が目指すものです。
だから、数学は美しい。

数学、その名の通り、最初は数を追いかけていたのでしょう。
しかし、今は違います。
この世の中にあるもの全てを、この世の中の現象全てを、数式で表現しようとしています。
拡張?
そう考えることもできるかもしれませんが、一概には言えない。
回転もそうですが、全て最初からあったのです。
それを、ただ我々が我々の分かる言葉や記号を使って表しているだけです。
数学を拡張しているのではなく、まだ数式化していないものを順次そうしているとも考えられます。
見えないものを誰でも見えるようにしている。

神様が創ったこの世界、完璧で美しいものだ。
それを、不完全な人間が、自分達の言葉で置き換えようとするから難しい。
矛盾が生じる。
無矛盾、これはある意味、神様への挑戦だ。
無矛盾、完璧なもの、だから美しい。
数学は科学の女王、ガウスも、その美しさから数学を女王と表現したのではないでしょうか。

数学の世界では、新たな何かが分かったとき、発明とは言わず発見といいます。
これは、その数学者が新しく創ったのではなく、もともと神様が創ったそれを見つけることができたからという意味です。
神様、私は信じていない。
会ったこともないし、存在すると証明もできない。
そんなものは信じない。
もちろん、今は、です。
会うことができれば当然だし、証明できれば信じます。
神様が創ったものかどうかは分かりませんが、実際にあるこの完璧な世界を数式で表しきろう。
何と壮大なプロジェクトでしょうか。

数学とは美。
美しくあって欲しい。
私はそう思う。
昔からそう考えていた訳では無い。
小学生の頃、誰よりも早くと、ただ目の前の計算をしていた頃には、考えもしませんでした。
xの始まり、数学の始まり同様、いつから私がそう感じるようになったのかは分からない。
ただ、今は数学は美しいと感じ、世の中の現象を可視化することができる世界共通語だと思っています。
数学は女王、美しく無矛盾。
だから、理解できない納得できないのは、私自身が未熟ゆえ。
1+1=2
本当に2なのかと微かな違和感を感じてしまうのも、私が未熟だから。
私の頭がそこまで追いつかないから。

この記事を書いた人

山田 明史