同じ授業を受けているのに、全然理解度が違う。当たり前ですよね。じゃなきゃ同じ先生の授業を受けてるクラスメイトは全員同じ成績になるはずですし。

さて、その原因はたくさん思い当たります。

そのうちの1つが、「共通知識の欠如」だと思っています。平たく言えば、「誰でも知っているようなことを知らない」ということですね。

ということで、今日の記事は完全に保護者向けのお話。特に小さいお子さんをお持ちの方の参考になるかもしれません。

みんなが知っている知識を知らない

最近授業中にあったエピソードを1つ紹介しましょう。

中2理科のお話。理系嫌いの天敵と言える「電気分野」の中でもピカイチの嫌われ者、「オームの法則」の授業中のことです。

僕はあまり語呂合わせも裏技的なものも好きではありませんが、オームの法則に限っては生徒の定着優先でよく使います。

ちょっと脱線しますが、オームの法則は「電流は電圧に比例する」という意味なので、「I=V/R」が基本の式なんですが、中学生が原理を理解するにはちょっと難しいんです。そこで分かりやすい「V=RI」という式を使うのが一般的です。

さて、この「V=RI」という式、そのまんま読むと「ブリ」。とりあえず頭の中にお魚の絵が浮かぶのではないでしょうか。

まあ、語呂合わせでも何でもないそのまんまな読み方ですけど、「ブリ」ってインパクトがあって覚えやすいのでそう伝えました。

ところが、ある生徒から衝撃の一言が。

「先生、ブリって魚知らないんですけど……」

……なんですと??マジですかぃ?

そこから猛烈に脱線して、ブリの照り焼きとブリ大根のうまさと作り方についてひたすら語るという数分間を過ごす羽目に。

みんなが知っている「共通知識」

今回は魚の名前を例に取りましたが、授業中に先生が発する言葉は多岐にわたります。その中には、今回のような語呂合わせだったり、例え話だったり、生徒の理解と定着を助けるような言葉が出てくるわけです。

これって、先生たちは「みんなが知っているだろう」という認識の元で言葉を選んでいるわけで、実際今回の「ブリ」だって、知らなかったのは2名だけでした。うち1名は食べたことすらないと。

難しい教科書的な用語から日常的な親しみやすい話題につなげるのは先生たちの常套手段です。そこでみんなが知っているであろう言葉を自分だけ知らなかったらどうなるのか。

大量のクエスチョンマークで脳内が満たされてしまい、むしろわかりにくく感じてしまうかもしれません。

ある程度の「共通知識」を持ち合わせていないと、授業をスムーズに受けるのが難しくなってしまいます。これが同じ授業を受けていても理解度に差が出てくる原因の1つでしょう。

「共通知識」が無いのはハンデになる

さて、中1はこれから「竹取物語」の授業をするつもりなのですが、先週生徒たちに聞いたところ、「竹取物語=かぐや姫」ということを知っていた生徒は1名、中にはかぐや姫のあらすじを知らない生徒もいました。

我が家の三歳児ですら知っているよ?絵本で読んでますし。

でも、もはや古典と言っても過言ではない「かぐや姫」なんかより(事実古典だし)、もっと楽しい娯楽は山ほどありますから、これからは知らない子が主流になっていくのかもしれませんね。

まあ、こんなことを言っている僕自身、はるか昔に読んだ童話のあらすじはうろ覚えもいいところですけどね。子どもの読み聞かせで復習しているフシは否めません。

閑話休題。

あらすじを知っていれば、多少難解な古文でも何となく話の想像はつくもの。これが初見の物語だとしたら、他の子に比べて大きなハンデを負ってしまうことになります。

国語の文章は、こういった「みんな知っているであろう知識」が無いと理解するのが困難なものばかり。だから、読解力が足りないというより、「そもそも知識が足りない」と言った方が正確かもしれません。

「共通知識」を養う機会を大切に

では、どうやって「共通知識」を養えばいいのかと言うと、多様な経験を積むのが一番ですよね。

えてしてその道のスペシャリストというのは、世の中の一般常識を持ち合わせていないことがエピソードになったりしますよね。それがまた天才性を際立たせたりするので全然マイナスではありません。それを補って余りある魅力があるわけですしね。

その反面教師とでもいいますか、共通知識を養うには、小さい頃から幅広く経験を積んでいくのが得策でしょう。生き物、食べ物、場所、道具、スポーツ、ありとあらゆる経験が知識の糧になりますよね。

特に、自然に関することは意図的に経験をしに行かないと、なかなか触れるのが難しくなっています。ここ小田原は比較的自然が残っている土地ではありますが、そこらじゅうで蛍が飛び交うような場所では無くなってしまいました。

たまには空を見上げてみたり、川を覗いてみたり、空気を感じてみたりすると知見が広がると思います。

まとめ

語彙力と似ているかもしれませんが、「みんなが知っている知識」を自分(の子ども)が持っていないのは、なかなか気づきにくいものです。特に学校の授業中に保護者はそこにいませんから、分からないでしょうね。

幼少期からの経験がものを言うのかな、と思うところはあります。そう考えると、コロナ禍が大きな影響を与えるかもしれません。

なかなか外に出て自由に行動するのが難しいご時世ですし、さまざまな体験をさせたくてもさせられないところはあります。親としては悩ましいところです。現在進行形で大きな悩みですね。

我々指導する側も、生徒たちがどのような「共通知識」を持っているかつかみ損ねないようにコミュニケーションを取っていかないといけませんね。

今日ビックリしたのは、担当したクラスで誰一人ロードオブザリングを知らなかったことです。カルチャーショックだなあ。

この記事を書いた人

富田 靖之螢田教室・板橋教室責任者
指導歴20年の理系担当講師。
Twitter始めました。ブログは長文、それ以外はTwitterで情報を発信していきますので、よろしくお願いします。