テスト期間も大詰めです。
テストまでのこり2日となりました。

中3生にとっては大勝負となる11月のテスト。
ここで手を抜くような子は一人もいません。

ひたすら動くシャーペン。
6時間ぶっ続けて勉強をするのもざらです。

あれほど頼りなかった子が勉強量を増やし、結果を残していく姿をみて思うのは、勉強の効果は勉強量に比例するなと。
知っている人からすれば当たり前のことでしょうが、その姿を目の当たりにするとそう思わずにはいられません。

できなかった原因のほとんどは勉強不足

テストなどで点数が悪かった。
その原因は「勉強不足」の4文字です。
点数を高めるために取り組んだ勉強量が足りなかったにすぎないのです。

そんな馬鹿なと思いますか?
でも事実です
目の前で取り組んでいる生徒が証拠です。

得点を取る子ほど、やすみなく問題を解きます。
自分の苦手としているところをほじくり返して、いやというほど問題を解きます。
たぶん、「もういいだろう」という基準が人よりずっと先にあるんでしょう。
こうなったらOKという基準が人より高いんです。
だから勉強が続くし、演習量も増える。

高得点が取れるのも当然ですよね。

一方点数が伸びない人。
勉強を辞める基準が謎なことが多いです。
たとえば「時間が来たから。」という理由。

勉強を止める理由がたいてい自分以外に由来しているんですよ。
勉強の手を止める理由が「自分がどうなったか」ではないんですよ。

この理由に正論パンチを振りかざすなら
「時間が来たから何なの?一定時間勉強すれば頭良くなるの?」

って感じです。

これって勉強を時間で管理する弊害かもしれません。
1時間勉強したらゲームしていいとか。
毎日◯分勉強しないとスマホを没収とか。

一見すると良さそうな勉強管理ですが、頭の中でひとたび「勉強=時間」と結びついてしまうのがやっかいです。
「時間さえ過ぎてしまえばいい」、と考えるようになるとその効果はとたんに落ちます。
そしてそれを修正するのもかなり難しくなります。

だから、学習管理をするなら成果で管理するのが大事です。
っていうか平和です。
軽いもので言えば「◯ページまで終わらせる」
さらには「漢字(単語)を◯個完璧にかけるようになるまでやる」
誰が見てもその成果が分かるようなチェックを組み込むことでやる方も見る方も安心できます。

勉強の質

さて一定の勉強量を難なくできるようになったら、次は質を上げていく番です。
…ただ、いいですか。
勉強量を増やすことが最優先ですよ。
間違っても勉強量を確保する前に質を上げようとしてはいけません
というか、そんなことしても質はあがりません。断言します。
ろくにテニスラケットを振ったことがない人が、大坂ナオミの練習をまねたところで得られるものがほとんどないのと同じです。
途方もないくらい練習をして、ラケットを素振りして、どうにも行き詰まったとき「質」にこだわるようになると目の前の道がパッと開きます。

ある程度の積み重ねなしに質にこだわってもロクな効果など望めません。

効率を上げようとあくせくすること自体はなんら問題ありません。
何事も効率を上げようとすることは大事です。
それを否定するつもりはまったくありません。

ですが一方で効率は(特に勉強において)一定の基礎、地盤、積み重ねがなければ上がりようがありません。
行き詰まったり、立ちゆかなくなったときに「もっと良い方法はないか」と考えをめぐらせた結果、生まれた工夫によって効率は上がるものです。
そういう点で勉強の質を上げる工夫、効率化はとても個人的なものが多く、それらを共有するのが難しいか効果が薄くなります。

ある人が一生懸命頭を使って考えた工夫を他人がマネしたところでたいていうまくはいきません。
なぜなら、そこで生まれた工夫はその経験の中で「もっとよくしたい」という動機のもと生まれたからです。
そうした経験に基づく動機もなく、上辺だけただなでたところでうまくはいかないでしょう。

逆に、圧倒的な量に裏付けられた勉強は勝手に質が上がるとも言えます。
量をこなしていく中で、「もっと簡単に覚える方法はないか」とか「こうしたら楽できるんじゃないか」とかいった具合に。

だから大事なのは量。
特にまだ入試まで時間がある中1生や中2生。今のうちからまわりの人が引くくらい勉強してみてはどうでしょうか。

この記事を書いた人

陌間 和将
山王教室の責任者・国語の教科責任者を担当しています。
日常の授業を通して考える習慣を身につけてもらうべく、様々な仕掛けを凝らして授業をしています。