入試まであと17日。
中3生の頑張りを見守っています、陌間です。

最近では「いつでも質問できます!」、「分からなかったらすぐ質問できます!」をウリにしている塾さんが多い気がします。

うちの塾も同様に教室のLINE公式アカウントを使って、質問の受付をしています。
コロナ対策として直接会わずとも質問・連絡がとれるように導入したわけですが、これがうまく機能していると思います。
「禍転じて福となす」ですね。

で、こういうサービスをしていると「分からなかったら、すぐに聞いて解決!」みたいな文言を見かけるんですが、僕はそういうメッセージを見るとムムッ?と疑問を感じてしまいます。

「分からなかったらとりあえず聞けば良い。」

この考え方は大いに疑問なのです。

質問したら必ず答えが返ってくる環境は幸せか?

分からないことがあったら質問する。
これ自体は何も悪いことだとは思いません。

LINEやtwitterに代表される「即レス文化」なんでしょうか。
とりあえず分からないことがあったら聞いてみようという雰囲気を感じます。
こんな感じで。

A:今日行く?
B:どこに?
A:Cの家。
B:なんで?
A:遊びに。
B:ごめん、今日塾だから無理。

言葉足らずでも質問を重ねれば聞きたいこと・知りたいことは最終的にわかります。
それで問題ないのでは?という人もいるでしょう。

でもこれ、人間相手だからできることです。

一方勉強の場合はどうか。
まず相手にしなければいけないのは教科書です。
でもそれはこちらがどんなに問いかけても答えてはくれません。
ただ黙って「知りたいんだったら自分から理解しに来い」という態度を貫きます。
あるいはもっと端的に「書いてあるから探して」という態度かもしれません。

もちろん教科書がそういう強情な態度をとるからこそ、教科書と生徒の橋渡しをする「先生」がいるわけですが。

ただ1分も待たず、すぐ分からないと質問するケースがあったりします。

悪気はないでしょうから責めはしません。
でも質問に答えられたのは先生であって、質問した本人ではありません

だったら片っ端から先生に聞けばいい?
質問して理解すればいい?

でも先生はいつも隣にいるわけじゃありません。
一生横にいてもくれません。

だから、自分で考えたり解決する力をつけないと早い段階で「詰んでしまう」のです。

そういうのもあって、ウチの塾では質問されても答えを教えることはほぼないと思います。
ヒントだったり、過程だったりを教えて終わり。

仮に答えを教えなきゃいけない状況だったとしても、説明した内容を復唱させてその場で再現させるくらいまではやらせます。

たとえそれが小学生であったとしてもです。
むしろ小学生の方がそういうタフな環境に早く適応しているかもしれません。

じゃあ質問はしないほうがいいのか、というとそれも考えものです

ここまで書くと質問はしないほうがいいのかと考える人もいそうですが、決してそうではありません。

質問をしない=自分で考えている」とはいえないからです。

質問をする人の心理として僕は次の2パターンがあると考えています。

A.答えを知りたい。
B.どうやって解くのか知りたい。

あ、ちょっと言葉が足りませんでした。補うと・・・

A.(勉強から解放されたいから)答えを知りたい。
B.(自分でできるように)どうやって解くのか知りたい。

Aは論外として、Bのような積極的な姿勢はとても良いと思います。
「知りたい」という意欲はなによりも勉強の効果を上げますからね。

「どうにか自分の力だけで解決したい、だから質問しない」だったらいいんです。
でも一番やっかいなのは質問してでも分かろうとする気力がない場合。
こうなると勉強で成果を出そうとするのはとたんに難しくなります。

重要なのは「分かりたい」という姿勢
そのために質問をするか、自分で考えるかは手段に過ぎません。

そういう意味では「いつでも質問ができる」というのは必ずしもメリットがあるとはいえないのです。

この記事を書いた人

陌間 和将
山王教室の責任者・国語の教科責任者を担当しています。
日常の授業を通して考える習慣を身につけてもらうべく、様々な仕掛けを凝らして授業をしています。